算数の苦手解決
700浜村淳に学ぶ
https://lab.komira.jp/archives/689https://lab.komira.jp/archives/586永六輔も小沢昭一もその後他界した。横浜の関内ホールというところで生の永さんと小沢さんを見る機会があって、永さんはパーキンソン病の初期の頃だったが、小沢さんは
目の前で起きている現象を疑え
4月1日「令和」の新元号が発表され、街中では新聞の号外が配られたということで、東京の新橋だったか人々が号外の配達員に殺到して「や、やっと号外手に入れました…!ちぎれちゃいましたけど」みたいなテレビインタビューを放映していた。「貴重な新聞を手にいれたんです!!」みたいなニュアンスをその番組では出し
真田山陸軍墓地
ちょっと時間が出来ると、大阪市内をどことなくひたすら歩いている。この日は地下鉄谷町線で大阪市南部の瓜破霊園から喜連地区、平野郷と北上してJR平野駅まで。まず瓜破霊園。市営霊園ということで、怖いもの見たさの興味本位もあったのかもしれない。しかし私が生まれ育った東京都江東区の平野というところも寺町で、
ひと言添える
コンビニでもスーパーでも順番待ちの列に並んでいる時、前の人の様子を観察していると、意外と本当に無言の人が多い。「いらっしゃいませ」「・・・」「温めますか」「・・・(うん、と頷く)」「950円です」「・・・(黙って金を出す)」「ありがとうございました、またお越し下さいませ」「・・・(無言で立ち去る)」
H・K君(高3)
長く続いた2018年度の卒塾感想も、これで最後となる。私は神尾塾に入って本当に良かった。神尾塾に出会っていなければ、基礎的な勉強が全く出来ずにいた。そして今の高校進学や今後の将来、自分自身について考える事も無かったと思う。ある時母が神尾塾を勧めてくれた。寺子屋スタイルといった勉強はもちろん、私語
不登校を乗り越えて
教室移転前の2月下旬、塾通信ではおなじみI・R君と一緒にご両親が来塾して下さった。I・R君も今年はいよいよ大学4年生。就活を控える段階となった。これまでの経緯は過去記事の通りである。2013年2月21日https://lab.komira.jp/archives/7492014年8月11日
O・S君の土産話
先週のT・K君に続き、移転直前に顔を出してくれたのがもう一人、今春高校2年になるO・S君。当時の卒塾感想はこちら。https://lab.komira.jp/archives/557https://lab.komira.jp/archives/5962月3日、地元のイデカフェのドリップコー
3年ぶりのT・K君
旧教室で移転作業をしていた2月23日の夜、ひょっこりT・K君が教室に現れた。T・K君と言えば「牛丼これは牛の命です」。この言葉のインパクトで塾通信に鮮烈な記憶を残したのも今から4年前である。https://lab.komira.jp/archives/980そのT・K君が今春高校を卒業し、な
T・Yさん(中3)
私がこの塾に入塾したのは、二年前の今頃だった。体験入塾の時にとても緊張したのを今でも覚えている。初めは、自分が今まで通っていた塾とは雰囲気が違く、神尾先生が話す以外の話し声などがまったくない状況に少し驚いたがこの雰囲気がだんだんと集中力やその維持に導いてくれたと思っている。私の中で最も印象に残って
T・R君(中3)
自分は三年から塾に入ったので、周りの人より勉強をし始めるタイミングがかなりおそかったが、きちんと自分の志望校に合格することができた。それは、もちろん二年間自分の力だけで勉強し、積み上げてきたものも大事だったと思うけれど、自分は三年生になってからの追い上げが良かったんだと思う。今まで全て自分の力だ