指導法(神尾メソッド)
個を追求する
言志四録の一巻目「言志録」第234項にこういうことが書いてある。---【234】孔門の学は躬行にあり孔門の学はもっぱら躬行(きゅうこう)に在り。門人の問目、皆己れの当(まさ)になすべき所を挙げて之を質(ただ)せり。後人(こうじん)の経を執りて叩問(こうもん)するが如きに非ず。故に夫子(ふうし)
塾は裏方
塾はあくまでも裏方だ。生徒が自力で自転車をこげるようになったら、補助輪である塾はいつの間にか姿を消しているのが好ましい。これは指導者の心がけの重要なポイントである。だから授業も、先生がパフォーマンスをする時間ではなく、生徒が自分で頭と手を動かすためのきっかけ作りをしているに過ぎない。講義は最低限で
間
ずいぶん前のことだが、10代目桂文治の晩年の高座を見た。10代目は2004年に亡くなっているので、恐らくその数年前だ。出囃子と共に白髪で短髪の文治がヨロヨロと入ってくる。着座して、今にも死にそうな弱い声でボソボソとマクラの話を始める。客席に届くか届かないかくらいの声で。客席は「どう
計算力改善の実践
「左脳=論理をつかさどる=男性系」「右脳=情感をつかさどる=女性系」という考え方は都市伝説だとする見方もあるが、どちらかと言えば計算に関しては男子の方が得意なように思う。どんなに勉強が苦手でも男子なら計算は比較的修復しやすい。逆に、計算が苦手な女子はいつまでもミスを繰り返し、作文を書いたり絵を描いた
丸付けは先生がする
時と場合にもよるが、「先生が丸付けをする」ことが大切である。課題の量がたくさんあっても、生徒に解答冊子を丸投げして採点させることは、私の場合まずしない。生徒自身が丸付けをする場合、「そうか、自分はこんな所を間違えてしまったのか」と解答と解説を見比べながら学習を深めていける生徒は極めて少数で、ほと
思考停止させない授業の実践
『理解するとはどういうことか』、を生徒自身が理解できているか否か。指導の上ではここを見極めることが大きな分かれ道となる。これが「できている」生徒であれば、例えば入試問題の過去問練習をするという抽象的な指示であっても、解説書を確認したり質問をしたりしながら解ける問題が増えていく。ところが、理解の至
仕事の心得
---「遥かなる未来に届く事業を創る」どんな未来がやって来るのか深く考えてください。自分たちの仕事が未来に通用するかを想像しましょう。そこで存在できるものこそが今すべき事業です。過去をなぞっても新しいものは生まれません。未来に届けられる会社を創りましょう。---これは、スカイマークの
魅せるプレゼンテーション
今やどの学校でも説明会にはパワーポイント(以下パワポ)を使ったプレゼンテーションが必須である。しかし、9割以上の多くの学校では、パワポに書いてあることを棒読みするだけであったり、参加者への配布資料もパワポの画面をそのままA4用紙に貼り付けただけであったりする。今回日本橋女学館に着任された開智学園の
授業のグルーヴ感
神尾塾では私が見誤っていない限り、生徒の立ち位置に沿った授業内容・難易度・スピードとなるよう心がけている。生徒の特性に合わせて扱う科目・教材を使い分け、私が過剰に手を掛けすぎることもなく、また生徒自身がお手上げになることもなく、必要に応じて生徒が自力で辞書を調べたりしながら、トントン拍子で授業と課題
個別塾で雑談はいらない
先週の塾通信で、卒塾生と食事をしながら2時間ほど話をした話題について書いたが、塾内で現役の塾生と無駄な世間話をすることはほとんど無い。予備校でいう所の「雑談」に当たる話題は一切しない。予備校講師の大御所、吉野敬介先生が授業で扱う雑談テーマの年間スケジュールを立てていたという話は有名であるが、雑談